だれが「わたしは自分の心を清めた、 わたしの罪は清められた」ということができようか。
善を行い、罪を犯さない正しい人は世にいない。
彼らがあなたに対して罪を犯すことがあって、――人は罪を犯さない者はないのです、――あなたが彼らを怒り、彼らを敵にわたし、敵が彼らを捕虜として遠近にかかわらず、敵の地に引いて行く時、
だれが汚れたもののうちから清いものを 出すことができようか、ひとりもない。
わたしたちは皆、多くのあやまちを犯すものである。もし、言葉の上であやまちのない人があれば、そういう人は、全身をも制御することのできる完全な人である。
わたしは自ら省みて、なんらやましいことはないが、それで義とされているわけではない。わたしをさばくかたは、主である。
それで人はどうして神の前に正しくありえようか。 女から生れた者がどうして清くありえようか。
人はいかなる者か、どうしてこれは清くありえよう。 女から生れた者は、どうして正しくありえよう。
見よ、わたしは不義のなかに生れました。 わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました。
彼らがあなたに対して罪を犯すことがあって、――罪を犯さない人はないゆえ、――あなたが彼らを怒って、敵にわたし、敵が彼らを捕虜として遠い地あるいは近い地に引いて行くとき、
すると、どうなるのか。わたしたちには何かまさったところがあるのか。絶対にない。ユダヤ人もギリシヤ人も、ことごとく罪の下にあることを、わたしたちはすでに指摘した。